IQ70の日記

考えをまとめたい

「君を支えてくれる理解者がいたらいいんだけと」

○んでくれ

 色々発達障害や知覚過敏の検査を受けて最期にカウンセラーに言われたのが「最終少年君のことを理解してくれて支えてくれるような人がいれば」って言葉。その場では流されて、「そうですね…」とかしんみりしていたけど思い返すととてもムカつく。

 この言葉で僕が思う駄目な問題は2つ。

 問題1.理解していてもガイジはストレスの種

 例え僕の特性を理解していても約束忘れたことを忘れたらムカつくでしょ?普通にしますよ。

 僕は別にそれを怒るなとは言わないし、言えない。そんなことを言い始めたら産まれるのは優しい世界じゃなくて大量の生贄と元気な役立たずだけでしょう。救うべきなのは救いようのあるやつだけでいい。

 ただ約束破りを繰り返しても怒らない人間はいるんですよね。僕の母親とかは呆れて諦めてるか、約束破ることを理解していてかつ怒りませんよ。やったね。でも僕は僕のことを下に見ている人が嫌いだし、理解者とは呼びたくない。僕の行動を見て笑うのをやめろ。

 問題2.共感出来たらそいつもガイジ

 もう一つ怒られない場合があるんですけど、それはその人が僕に心から共感出来る場合ですよね。でも共感できるってことは多分その人も障害をもっているかアルツハイマーかなんかでしょう。別に障害者同士の助け合いとか嫌いじゃないですよ。美しい絆ですよね、質が低いだけで。発達障害者がいくら集まっても居心地が良いだけで問題は解決されないしどうせ増えますよ。やったこと無いけど自信を持って言えます。

 

 つまり僕が言いたいのは僕が生きようと頑張ると共感出来てるフリをしてくれる優しい人に迷惑をかけるか発達障害者と破滅の道を行くことになるということで、そのどうしようも無い感じにムカついている。このむかつきもそのうち忘れます。

あとカウンセラーの先生が大量の共感と優しさをくれて惚れそうです。

さよなら