IQ70の日記

考えをまとめたい

雑記

やりたいことがないのは常にそうなんだけどなにもしてほしくないのは最近から。

心配して就活を手伝ってくれた叔父や息子と打ち解けようと話しかけてきては「そうね」で黙ってどっかいってしまう父、愛してくれる祖父母、一緒にゲームをしてくれる友人、期待してくれるし色々未来の提案もしてくる友人B。お前ら全員嫌いだ。

すぐ俺に期待してその地位にふさわしい振る舞いを求めてくる。ラベルを勝手にはるな。予定は前日に入れろ

ただ全部避けてたらなにやればいいかわからないしなにも楽しくなくなってしまった。MTGアリーナは楽しいけど2時間で満足

ここまでが現状。

多分僕は糞つまらない人間で技能ないし好きなことも特にない。やりたいことがあっても一人だとなにもやらない。やりたいことがないから努力もしない。フレーバーとしてあるのはスマホで見た知識と集団への憧れだけ。多分これからもやる気あふれる春、なにもしない夏秋、自分に幻滅して死にたくなる冬をなにもなさないまま続けるんだろうな。人間として成長が見込めるようなまともな仕事とか目標立てて努力とかやりたくないし。一生俺は人より優ってるはずという暗示にすがって無能をさらし続ける。

 

よかったですね

「君を支えてくれる理解者がいたらいいんだけと」

○んでくれ

 色々発達障害や知覚過敏の検査を受けて最期にカウンセラーに言われたのが「最終少年君のことを理解してくれて支えてくれるような人がいれば」って言葉。その場では流されて、「そうですね…」とかしんみりしていたけど思い返すととてもムカつく。

 この言葉で僕が思う駄目な問題は2つ。

 問題1.理解していてもガイジはストレスの種

 例え僕の特性を理解していても約束忘れたことを忘れたらムカつくでしょ?普通にしますよ。

 僕は別にそれを怒るなとは言わないし、言えない。そんなことを言い始めたら産まれるのは優しい世界じゃなくて大量の生贄と元気な役立たずだけでしょう。救うべきなのは救いようのあるやつだけでいい。

 ただ約束破りを繰り返しても怒らない人間はいるんですよね。僕の母親とかは呆れて諦めてるか、約束破ることを理解していてかつ怒りませんよ。やったね。でも僕は僕のことを下に見ている人が嫌いだし、理解者とは呼びたくない。僕の行動を見て笑うのをやめろ。

 問題2.共感出来たらそいつもガイジ

 もう一つ怒られない場合があるんですけど、それはその人が僕に心から共感出来る場合ですよね。でも共感できるってことは多分その人も障害をもっているかアルツハイマーかなんかでしょう。別に障害者同士の助け合いとか嫌いじゃないですよ。美しい絆ですよね、質が低いだけで。発達障害者がいくら集まっても居心地が良いだけで問題は解決されないしどうせ増えますよ。やったこと無いけど自信を持って言えます。

 

 つまり僕が言いたいのは僕が生きようと頑張ると共感出来てるフリをしてくれる優しい人に迷惑をかけるか発達障害者と破滅の道を行くことになるということで、そのどうしようも無い感じにムカついている。このむかつきもそのうち忘れます。

あとカウンセラーの先生が大量の共感と優しさをくれて惚れそうです。

さよなら

 

戯れ言

 自殺を失敗したこともなく、心中未遂で女性に置いて行かれた訳でもない。ただなにをやるべきか頭を傾げていたら子供でもなくなった。体も良くはないけど健康そのものでどちらかというと裕福な家に生まれて。

 僕だけのものなんて持ってなくて、それが怖くてTwitterで話しまくるけどそんな人も探せばいっぱいいて。誤魔化すために酒を飲むけど何を飲んでも不味くて、それでもぼやけたいから飲んでみっともないと思ってた人と重なって。

 愛しい日々なんて持ってなくて、別に強くもなりたくなくて、優しい言葉は無限に欲しい。狂言自殺すら出来ない俺は死ねると思い込んで

 どこにでもいる僕を特別に可哀想な人間だと必死に酔いしれてます。

「気持ち悪い」ってなんですか

 どうも、電車に乗っているのですがカバンがどこにもありません。助けて下さい。

 ところで気持ち悪いって言葉難しいですよね。僕の中の辞典では「理由は特に無いけど嫌悪感、恐怖を感じる=気持ち悪い」となっています。この特に理由がないというのが難しくてもちろん人を恨み、物を嫌い生きてきたのですがそこにはちゃんと理由があって初見で無理となったことがないのでよくわからないんですよね。

 で、母などにはこれを優しさとか許容度とかの言葉で洗脳されてきたんですが生きることの障害になってるし恐らく違うだろうな、と。そもそも好きな人より嫌いな人間の方が多いのに優しさ属性に入れるのはナイと思います。

 

障害1:グロ耐性に自信ガイジに見える

 実際にどんな障害があるのか書いていくわけですがここまで読んできて「なんとなく偉そうだな」と感じませんでしょうか。「ぼかぁ君たち汚い奴らと違って気持ち悪さなんて感じたことありませんよドヤァ。」みたいな。僕は感じました。ついでに「」も多いことに気づきました。

 学生の世界はキャラクター性の世界というのは僕が大学生になってなんとか理解したことの一つです。自分か他人によって貼られた属性に沿って正しくキャラを演じることが求められるわけですが障害者の僕は自分のタグを見ない縛りプレイをしていました。そんなことをして上のような気持ち悪さへの共感をしないでいると厨二病のように見えるんですね。で、厨二病はイタいので一人になる。

 

障害2 仲間意識の芽生え難さ

 人間は共感をする事で仲間意識を育むと本で読んだことがあります。特に悪口などの敵を前にしたときに友情ゲージは上がりやすいですね。僕はすぐ他人を嫌いになるのでこの作用は上手く働いていると思っていたのですがなぜか上手くいかず逆にグループ内の敵になっていることが多かったです。恐らく共感出来る悪方面の話題が少ないことと、趣味などの好意方面での共感も少なかったからでしょう。気持ち悪さを感じてこなかった結果僕の趣味は気持ち悪い物になっているようです。「かっこいいと思うんだけどな…」なんてもうそのまんま馬鹿のように言っていました。

 

 これらに付随してセンスの悪さによる絵の悪さなどもあるのですがただの恨み言になるので止めておきます。

 ここから先は原因を考えてみます。事象には原因があるはずで他の発達障害者は定型の人によく気持ち悪いとのたまっているので障害由来のものではないでしょう。

 

説1、期待感の薄さ

 なんかTwitterで、優しい人は周りにそんなに期待してない!みたいなのを見たのを思い出しました。確かに他人に時間通りの行動や視覚的な美しさなどは期待していませんね。しかし一目見て「気持ち悪い」と発言する文法例を観測したことがあります。他の人は新しく出会う人や物にそんなに期待しているんですかね。ましてや全く関係ない通行人にも気持ち悪さを感じることがあるらしいですし、気持ち悪さは期待の高さの裏返しというのは違う気がします。

説2、自意識が過剰すぎる

 自分のことが大事過ぎて他人がどうでもいいという説。先の説1と似ていますがこちらは良きも悪いも興味がなく、かつそもそも他人を見ていない感じでしょうか。ブログを書き、絵を載せて、Twitterにかぶりついている人間なので正しそうですね。特に反論がわかないのですが自意識が高いので自分が悪いとは認めません。原因の一部と一応しておきましょう。

 強いて何か言うなら他者からの肯定に飢えているから自己肯定感は低いとかでしょうか。ただ自己肯定感の低さと自分の大事さは関係ない気がする。女になったら自分とセックスしたいし。

 

説3、そもそも全員に嫌悪感を持っている

 ありそうと思ったけどこんなのを考えても比較するものがないので答えでませんね。思考の無駄。

 

説4、多様性を盲信している

 自分の中に多様なのは素晴らしいという思想が根を張っている可能性です。もしこれが正しいのならばルーツは小さい頃のシュタイナー教育でしょうね。自分の中に自由な世界観を持っているので故なき拒絶をしないという。もしくは子供のまま大きくなったとか。

周りと違っていいんだ!って子供に教えたいならばシュタイナーはオススメですよ。健常者ならばとても人間が良くなると思います。発達障害者はサンプルが自分だけなのでちょっとよくわからない。

 

説5、みんな文法的にしか使ってない

 思考の無駄part2です。そもそもみんな理由とかあっても文法的に「気持ち悪い」と言っているのではないでしょうか。もしそうなら僕は気持ち悪いを正しく使えていますね。つまり考えても無駄です、前提から外れてます。

 

はい。色々書いてきました。特に感想とかはないですね。もし「こうなんじゃないか」とかあったらコメントしてください。コミュニケーションに飢えています。

 説5が正しい気がします。さよなら。

 

論文締め切り前夜の雑記

 風呂から出たとき何かを忘れているな、と感じた。ゼミの論文が進まないので気分転換に入った風呂だった。見慣れない感情なのだが「なんかを忘れてる」という言葉は聞いたことがある。なにも思い出せないが自分の頭が健常に動いたようで嬉しかった。

 最近見慣れない考えが頭の中で増えている。ここが締め切りだから今はこれをしよう、なんてものが浮かんだ時にはあまりに出来過ぎで恐怖すら感じた。しかし健常に近づく喜びにはなんとなしに寂しさも感じる。自分も障害を個性にしていたのだろうか。それとも劣化互換になることを恐れているのだろうか。

 見かけなくなった感情もいる。冬は常に頭にあった泣きたくなる気持ちや酸欠になる激しい喜びや怒りだ。

おそらくは安定剤で気持ちが動かなくなっているのだろう。感情は抑えられ噴き出すこともない。心の燃費が良くなったとはっきりわかる。

だがアドレナリンを探して無の中でもがいている自分もいることに気づいて惨めになる気持ちが薬が抑えられ、そのことにまた惨めになる。

 そのうち慣れるだろう。考えてみれば、いつまでも惨めに感じているわけにはいかないのだ。僕は薬と一つになって人に笑われなくて済む力を得るのであろう。

 頭が痺れてきた。さよなら。

期末テスト終了と就職の話

 学期末の試験がすべて終了しまして残りはゼミ論を書けばとりあえずやることはなくなります。その後は成績を見て四年で卒業出来るかどうかという流れですね。

 はい。

 最近は就活のプレッシャーが増してきまして今日も親に朝そのように言われたわけですが、正直なところ働いてまでやりたいこともないしそもそも三十歳の自分が存在している気もしないのでなにもしていないんですよね。

ごめんなさい、理屈をこねてみましたがめんどくさいだけです。

 考えたくなくて文章が進みません。

なにがありそうか書いてみます。

 

1.働かない、保護でがんばれ

 真っ先に思い浮かびましたがおそらく尊大な羞恥心に二年ほどで殺されますね。すべてが無理になってから死ぬまでの数年に取っておきましょう。

 

2.フリーター、入りと出の繰り返し

 ありなんでしょうか。集団内の人間関係で成功したことがないのでこれは楽そうですね。問題は辞めたあと次を探すやる気が無かった場合そのまま死を迎えます。

 

3.在宅のなにか、死ぬ気で一つを獲得する

 在宅職ってどんなものなのかわかってないのでわかりません。なにもなかったら出来なそうですよね。僕でも可能なら環境は一番いいでしょう。

 

もう興味がわかないので締めます。今まで生きてたし生きられるんじゃないでしょうか。ダメなら死にます。

雑な記事でした。さよなら。

モンハンと友人ー中学時代編

 何時になったら崩壊した話を書くんでしょうかね。中学時代にも友達とモンハンをやるイベントがあったなっていう話です。

 今回の話は小学校が最悪で同じ面子で中学校に行くのが無理だったので私立中学に入学した頃の時代です。

 その時代ではモンスターハンター2ndGなるゲームが大流行しており、子供達はとりあえず一狩りして戦友になる文化があったんですね。それまで僕はポケモンをひたすらやっており、PSP持っていなかったので親にねだって友人作りを頑張っていました。その甲斐ありモンハン中心のグループに晴れて所属できたところまでが前提の話です。

 すでに気分が悪くなってきました。そのグループは8人ほどいましたがめんどくさいのでモンハンやりこんでるA、僕より先に始めたけどまだクリアしてないB、同時期に始めたCと僕の4人とします。

そのグループはモンハンの上手さがステータスなのでA君の言うことは絶対だったわけですがA君は太刀が大好きだったので僕とCには太刀を使わせていました。さらに僕のストーリーはAとBが手伝ったことで特に装備など整えること無くBのクリア地点まで進みました。ここまでうだうだ言ってあれですがポケモンしかやってない僕がそんな状態でみんなとクエストをやるとすぐに3没して終わるんですね。C君はアクションゲームに慣れていたのとみんなと遊んだ後に一人でちゃんと装備を作ったりしていたんですかね、コミュニケーションでなんとかしていたのかもしれません。僕?僕は防具のスキルの意味すらわかってなかったしポケモンやってたから。

 結局キャンプを守ったりしていたのですが。最後は「お前弱いし遊ぶ意味ないじゃん」と言われガイジはグループから抜けモンハンの楽しさ以前にシステムすら分からずにそのまま元の友達0人生活に戻っていきました。

 そんな感じでモンハンに対してわりと強めのコンプレックスを抱えていたのですが最近モンハンワールドを友人とやっていることで今更ですが楽しみ方みたいなのを理解しました。モンハンってキツイキツイ言いながら装備を逐一整えたりして倒せた喜びを感じるゲームなんですね。ワールドでは下手な人間でも他の人に助けて貰えるおかげで素材集めがやりやすく色々試せて楽しいです。

 下位のディアブロスで詰まってます。さよなら